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ワ
ク
ー
ラ
イ
フ
バランス
私の
本企画の第4弾は,阪神・淡路
大震災での非日常的生活の中
で,ワークライフバランスの大
前提としてのインフラの重要性
や日々の役割行動を柔軟にする
ことの大切さを痛感された,ク
リニック勤務の鳥居潤先生です。
「24時 間 戦 え ま す か 」 と い う
CMが流行っていた1989年に,神
戸にある精神科クリニックにアル
バイトで働き始めました。1993
年から常勤職員になり,現在に
至っています。私が「ワークライ
フバランス」に向き合うことに
なったきっかけは,1995年1月17
日に起こった阪神・淡路大震災で
す。職場の施設は半壊でしたが,
直後から使用できました。私が住
んでいたアパートは損壊がひどく
てとても住める状況ではなく,し
ばらくの間職場で寝泊まりをさせ
てもらいました。地震発生直後
は「ワークもライフも一瞬で消え
去ってしまうのか」と思っていま
したが,なんとか「食う寝るとこ
ろ」は確保できました。
職場では,PTSDに対応するべ
く,「震災後こころのストレス相談
センター」という名称で1月29日
から24時間電話相談および避難
所の訪問を開始しました(写真は
電話対応している当時の私です)。
活動を開始した頃は,「24時間戦
う世界に迷い込んでしまった?
こんなのできないよ」と思ってい
ました。「助けてください」「手
伝ってください」というFAXを
全国の精神科医療機関や精神保健
関係機関に送ったところ,それに
呼応したボランティア200名以上
が参加してくださり,1996年3月
31日まで継続しました。
震災直後,施設は使用できると
いってもすぐに使えたのは電気と
電話のみで,ガスや水道は止まっ
ていました。水道が復旧するまで
の間,職場から歩いて5分ほど離
れた公園へ水を汲みに行かねばな
りません。静岡から来た中年の女
性看護師が水汲みの仕事を手伝っ
てくれました。「女性に重いもの
をもたせてしまってすみません。
でも,助かりました」と私が伝え
ると,「自分ができることをした
だけ。それに重いっていうけど,
近所の農家さんから野菜や果物
を分けてもらって,畑から家まで
持って帰るほうが重いわよ」と返
してくれました。しばらくして水
道が復旧し,毎朝の水汲みから私
は解放されました。「自分の活動
の量・質・時間はインフラによっ
て決められている」ことを痛感し
ました。そして,私が勤務先近く
に「住むところ」を確保できたの
は,地震発生から3 ヵ月後。これ
でワークとライフを分けることが
ようやく可能になりました。
ある時,東京から来た若い男性
医師が「昼食にパスタを作る」と
自分から言いだしました。「避難
所を回診するために神戸へ来た医
者に,料理を作らせるのはいかが
なものか」という思いがありまし
たが,「絶対作る」という彼に押
し切られ,作ってもらうとすごくう
まい。「専門店オープンできます
よ」と大絶賛したら,「こんなに喜
ばれると思わなかったな。鳥居さ
んも被災者でしょ。被災者が笑顔
になるお手伝いはやりがいがあり
ます」と笑顔で話してくれました。
福岡の経験豊かな男性心理士
は2週に1回のペースで半年にわ
たって,24時間電話相談を手伝っ
てくれました。もちろん職場か
らの指示もあったでしょうが,同
僚・担当しているクライエントの
理解やご家族の協力があったから
こそ,支援活動を続けてくださっ
たのだと思います。
「自分ができることできないこ
とを区別する」「自分ができない
ことは周りの人や専門家に助けて
と言う」「できることは積極的に行
動する」「相手の役に立っている
という実感が持てるとやりがいに
つながる」「周囲に理解を得る努
力を惜しまない」を学びました。
また,女性だから男性だから看護
師だから医師だから年上だから年
下だからと考えている自分に気づ
かされました。「狭い了見を持っ
ていることを認め,そこから抜け
出す」も大切です。これらがワー
クライフバランスを保つ秘訣かも
しれないという気がしています。
2019年にドラマ「わたし,定時
で帰ります。」が話題になりまし
た。今の職場は,「定時で帰るこ
とができる」状態です。「24時間
戦えますか」から30年。大きく
時代は変わっています。ワークラ
イフバランスを安定させるには ,
「定時で帰ることができる労働環
境」が初めの一歩ではないかと震
災の経験から実感しています。
阪神・淡路大震災の経験から
精療クリニック小林 常勤カウンセラー
鳥居 潤
(とりい じゅん)
Profile ─
1993年,神戸大学大学院文学研究科心理学専攻修
了。臨床心理士,公認心理師。大学・大学院では
社会心理学を学び,職場で心理療法や心理検査に
関する知識と技術を学ぶ。
男女共同参画推進委員会企画